2020.03.29 16:07対処療法は薬物療法 私も、以前は、Dr.の見立てにより「うつ病」であった。 例えば内科的な疾患は、「胃潰瘍」ならば、大抵のDr.が認めれば、そして、データーが揃っていれば「器質学」的疾患として、「胃潰瘍」になるだろう。 しかし、精神科・神経科・心療内科の場合は、「現象学」が主であるので、多分に患者の「訴え」や「家族」の訴え(表面から見た目)をDr.が判断し病名を決定する。 注意しなければならないのは、1人のDr.に...
2020.03.21 14:25心の安定を図る、1つの方策!まず、「職人」的な仕事をしていると、そんなもの「身体(からだ)で覚えろ」と、親方、兄弟子に言われます。この「身体で覚えろ」は実に日本的らしいのです。欧州の伝統的な仕事の覚え方にも、「身体で覚えろ」は、なかったようです。欧州の伝統的な人間感覚の代表として、例えばベルクソンという人がいます。ベルクソンは、人間を「知性」「身体」「生命(いのち)」として分けますが、その場合の「身体」は、あくまで、「知性」...
2020.03.11 12:37「個人の時代の苦悩」と「自助グループ」 私は、これまで、現代は「個人で生き、個人で解決することの苦悩」を書いてきた。 しかし、現代においても、まだまだ「支え合う、助け合う」という、「自助グループ」があることに、一種の感銘を受けている。 例えば、「生活の発見会」は、「神経質」から生じる異常感に陥った「神経症」について、そのことは、自分自身のみが特別に感じるものではなく、そのことを特殊にてしまう「とらわれ」によることからくる、「性格特徴」...
2020.03.06 12:54「森田療法」という「人間学」 もともと、「神経症」を治療するために考え出された、「森田療法」(以下「森田」という)は、明治時代の後期から大正時代の前期に確立された。それは、自身が神経質者であった「森田正馬」氏による功績が大きいのだろうが、やはり、そうした「学」が導き出された時代背景を考慮する必要はあると私は考えている。 明治時代後期から大正時代の前期は、まだまだ、日本人の伝統精神が息づいていたのだと思う。この場合の「伝統的精...
2020.03.02 07:06「個人の時代」と「新型コロナウィルス」今まで、私は長々と現代は「個人の時代」になってしまったことを、書いてきた。「個人の時代」は、例えば「新型コロナウィルス」の流行に、人々はどう反応するのか?マスクがなくなるのは、なんとなく心理的にはわかるような気もするが、トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなってしまうのは何故だろうか?「個人の時代」においては、つまるところ「自分を守るのは自分しかいない」ということになってしまうようだ。広げ...
2020.03.01 22:25「基本的人格」って~「個人で生きなければならない苦悩」近・現代社会は、つまるところ「個人」で生きなくてはならなくなった。このことは、「個人」に幸せをもたらすだろうか?私は、現代を「個人として生きなければならない牢獄」の時代だと捉えている。特に、「病気」や「疾患」を抱えた人たちには、厳しく「個人」で生きることを強いる。苦しみを、誰とも共有できなくなり、「個人」で抱えざるを得ない。「個人」として、生きなければならない時代は、もしかすると「残酷」な時代なの...