「個人の時代」と「新型コロナウィルス」
今まで、私は長々と現代は「個人の時代」になってしまったことを、書いてきた。
「個人の時代」は、例えば「新型コロナウィルス」の流行に、人々はどう反応するのか?
マスクがなくなるのは、なんとなく心理的にはわかるような気もするが、トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなってしまうのは何故だろうか?
「個人の時代」においては、つまるところ「自分を守るのは自分しかいない」ということになってしまうようだ。
広げても、家族を守るのは、家族の構成員でしかなくなる。お子さんが小さければ、その子たちを守るのは、親御さんの役割になる。
逆に言うと、隣近所や地域で助け合う、支え合うということがなくなってしまっているからだろう。
つまり、とりあえずは「自分たちを守るのは自分たちしかいない」ということになる。
隣近所であろうと、地域であろうと、それらは「他者」にしかならない。
「個人の時代」は、他者は「守るべき対象」にならないのである。
だから、「人さまのことは構ってられない」になってしまう。
とりあえずは「自分たちだけは」という「心情」におかれる。
もし、社会や地域や市場が機能しなくなってしまえば、「自分たち」だけは今は守れても、それがいつまで「成立」し続けていけるのか、ちょっと考えれば、誰もが解かることなのだが、、、、、。
(ささ爺)
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