「森田療法」という「人間学」

 もともと、「神経症」を治療するために考え出された、「森田療法」(以下「森田」という)は、明治時代の後期から大正時代の前期に確立された。それは、自身が神経質者であった「森田正馬」氏による功績が大きいのだろうが、やはり、そうした「学」が導き出された時代背景を考慮する必要はあると私は考えている。

 明治時代後期から大正時代の前期は、まだまだ、日本人の伝統精神が息づいていたのだと思う。この場合の「伝統的精神」とは、明治以前の日本人の伝統的精神である。

 この場合、日本人の伝統的精神といっても、武士のような「儒教」で文章上残されているものではない。「日本民衆精神史」ともいうべき、文章では残っていない、日本人の「心」のようなものである。

 例えば、「森田」は、「かくあらねばならないという」考え方が、「症状」をもたらす捉え方の1つであるという。

 そうした考え方には、「両面観」を対置させる。一面的な考え方によらないで、逆の方面からも、自分を捉えるというものである。

 「かくあるべし」に対しては、「こう生きたい(在りたい)」でいいのである。

 自分の持つ「生命(いのち)の欲求(願望)に忠実に従って生きる」、ということになる。

 こうした「両面観」はどうして生まれるのであろうか?

 このことは、日本人の「自然観」からくるものだと私は考えている。

 例えば、「梅雨」は、時には大雨をという禍いをもたらし人々を窮地に追い込むが、「梅雨」がなければ日本の「稲作」は成立しない。冬の日本海側の大雪は、またまた災害をもたらすが、「稲作」の豊かな土壌は醸し出されない。そして、より美味しい「日本酒」も醸成されない。

 こうした自然に、日本人は自然の「曖昧さ」に、イエスとかノーとか、敢えて明確な答えを出さず、「付き合ってきた」、という側面が強かったのだろうと思う。

 だから、「人間」理解に対しても、強く「個」を主張し、または重んじるわけでもなく、かといって所属する「集団」にすべてなびくということもせず、どちらをも大切にして、生きてきたのだと思う。

 そして、「人間」の心を、大いなる自然に委ねる。「なるようにしかならない」と昔の人はよく言ってたが、その「自然観」に象徴される。

 「自然」は、仏教でいうと、「ジネン」とよばれ、「自ずから然り」である。

 私は、「ネイチャー」としての「自然(しぜん)」と、仏教でいう「ジネン」を、「自然」という言葉に表現してしまった明治の言語学に疑問を持っている。

 もともと持っていた日本の概念に、外来語をあててしまったことは、いかがなものかと感じている。

 そして、さらには、「個」と所属する「集団」との割り切れない、「曖昧さ」の中で生きてきたのも日本人である。

 だけれども、現代は人間を「個人の時代」のみに変えてしまった。

 集団の中で生きることの術が忘れ去られた。「支えあう、助け合う」という平等観が消えてしまった。

 このことに、個人として生きるしかない「現代人の苦悩」があるのでは、と私は感じている。

                           (ささ爺)

 

 

 

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