「新型コロナウィルス」と「マスコミ報道」(更新)

 政府は、今日、「新型コロナウィルス」対策として、「緊急事態宣言」を発令するに至った。

 マスコミは、国会中継も含めてこぞって「報道特集」を組んでいる。

 マス=コミはもちろん、マスメディア・コミュニケーションの略になる。

 だから、テレビだけが「媒体」ではないのだが、たいていの場合はテレビからの情報が主になっているようだ。

 もちろん、「緊急事態」だから当然である。

 ここで、「報道規制」を行ったら、どこかの国と同じになってしまう。


 わたしが、今回注目しているのは、それを受け取る「人々」の側の心理状態がどうなのかだ。

 政府の「宣言」をうけて、人々は「安心」したり、「納得」したり、「うなずいたり」してるかだろうか?という、疑問から出発している。むしろ、人々の「不安」心理を、さらにかきたてる結果になってはいないか?ということである。

 確かに、「緊急経済対策」は、国会でも言われているが、実に対応が遅かった。

 中小企業や個人零細企業からは、経済対策が遅いがゆえに、疲弊し、「やっていけない」という結果も出るだろう。残念ながら。


 そして、「国民一人一人」は、今回の「宣言」を受けて「安心」しただろうか。むしろ、さらに「パニック」ともいえるような「不安感」に満ちてしまったのではないだろうか?

 だとすると、なぜそうなってしまうのだろうか。


 わたしは、現代は「個人の時代」であると、これまで何回も書いてきた。

 「個人」で生きていかなければならない。「個人」で答えを出していかなければならない。

 「個人」で解決していかねばならない。

 しかし、「個人」というのはそんなに強いのだろうか?

 「個人」は万能なのだろうか?


 今回の「宣言」を「個人」のレベルで受け止めるとどうなるだろうか?すべからず、漠々とした「不安」が湧き上がってくるのである。

 それは、「人々」が、今、日々の課題にしていることと、「宣言」の内容との乖離(かいり)にあると思うのだ。

 誰もが、コロナにかかって、苦しみ死にたくはない。ましてや、わが子をも。

 お子さんが小さい家庭では、お子さんの命を守るのは、親御さんの使命になる。しかし、その親御さんが「パニック心理」に陥っている傾向もみられる。


しかし、だからと言って、「宣言」はそのことに、完全に答えているだろうか。

 現在の「報道」は、人々の「危機意識」を結果として煽ってばかりいるような印象が、私には感じる。

 もっとも、政府も「宣言」は、コロナの感染拡大防止策とは言っているが、現時点で、それだけが社会問題化しているわけではない。医療崩壊だけが現在の危機ではないのである。「宣言」によって、逆に「疲弊」してしまう業種もあるということもある。


 特効薬「アビガン」や「イノビオ」は現在どうかだとか。中小・零細企業の経済救済はこれで解消できるだとか、生活はこれで「安心」とかの、人々の具体的不安に、適切に対応している「宣言」とは感じきれないのだ。

 したがって、結果として、人々の漠々とした「不安」ばかりが噴出し、「不安」がさらなる「不安」を呼び、人々は、「パニック」心理に追い込まれてしまうのだと感じる。


 こういう時は、「利益・利害」を共にする人たちと「群れ」を作り、漠々とした「不安感」を共有し、その中に身を置くことで「安心感」が「醸成」されるものである。

 つまり、「個人」でいないことである。「密閉」「密集」「密接」状態にならなくとも、現代の「媒体(メディア)」を駆使すれば、可能だろう。

 そして、やはり「向こう三軒、両隣」も大事なのである。

 お子さんを抱え、家庭でこもり、「不安にうちふるえている」ママたちは、ママ友と連絡を取り合い、みんな同じであることを感じ取れれば、それだけでも「安心」する。

 そのことによって「感情の爆発」を消滅させることができれば、漠々とした「不安」は解消され、冷静に「具体的対策」をたてることができる。


 東日本大震災(3.11)のとき、日本人が冷静さを保っていれたのは、上位解脱でなく(政府主導ではなく)、人々が、自分たちで判断し、行動できたことによるものであったことを思い出してほしい。

                            (ささ爺)


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