「障害者」わからない言葉③ー妹、妻、私

いつだったか、某放送局で「障害者は、社会が作り出す」という放送をやっていた。私なりにかみくだいてみると「ハンディを抱えた人を現代の社会が受け入れきれていないし、受け入れる社会になっていない」ということのようだ。

亡き妻の妹は、昔で言う「重度心身障害者」だ。難産の結果、生誕後1週間後に高熱を出し、結果、そうした「枠」に入ってしまった。小・中学校は「ひまわり学級」だった。中学校卒業後、段ボールの組み立てなどをする仕事に就いたらしいが、1973年のオイルショックで解雇にされ、後は「在宅状態」になってしまった。

私たち家族が住んでいた東京で、ある「事情」で約8ヶ月間妹を抱えた時がある。私たち家族は5人家族の2DKの社宅住まいだった。息子が3人いた。小学生、保育園、乳飲み子だったから、正直経済的にも大変だった。

息子、特に乳飲み子を風呂に入れたのは私だったが、妹を風呂に入れていたのはやはり妻だった。その時に、妻は妹を叱ってばかりいた。部屋中響き渡る声で叱っていた。私は、なぜそんなに叱るのか?と妻に聞いた。そしたら、妻は「昔は自分で洗えていた」と言っていた。「母がダメにした」とも言っていた。私はとても複雑な気持ちになってしまった。というのは、その妹の母から見れば、「自分が産んでしまった子」として罪の意識の中で妹と暮らしてきからと私は感じていたからだ。「自身が産んでしまった不憫(ふびん)な子」として。

東京で抱えていたころ、私は素人ながら、何がどうわからないのか足し算のクイズをした。そうすると、3+4=7とかの答えが1桁ならばわかるのだが、6+7=13など、答えが2桁になるとわからなくなる、ということがわかった。でも、妹は自分の名前を漢字で書けていた。だけれども、「自分の世話」ができないのだ。朝起きて、服を着替えることぐらいはできる。しかし、例えば食事をして(食事もけっこうこぼしていたが)、自分の食器を洗い場に運ぶことができない。その時、支持命令すればやるのだが、支持命令しなければやらない。そして、食事が終わったあとは、腰かけているだけだった。いつまでも食卓に皆いるわけにもいかないから、こたつに入る。そうすると、こたつに入り横になってTVを見ているだけだった。時々、何か頭の中で浮かぶらしい。両手をパタパタやって喜んでいるときもあれば、急に怒り出すときもある。自分の体を思いきり叩いて怒り出すから、私などは何事かとビックリしてしまう。そして、それらの行動には「法則性」がない。つまり外側からの「反応」ではない。何かが自分の中で生じたことに反応しているとしか思えない。何に反応しているのか私にはわからなかった。しかし、指示命令型で言えばそれには従う。だから妻の口調も「・・・しなさい」になってしまう。そのように言えばそれに従ってできることもあるのだ。だから、何も分からない訳ではない。だから、指示命令すれば、ある程度のことはできる。だけれども、やはり、放っておくとこたつに入って横になってしまう。それが妹だ。現在は母も高齢で「特別養護老人ホーム」に入っている。妻がガンで亡くなるときに、重なるようにして入所した。その前に家族騒動があったのだが、結果そのことにより、妹の「養護施設入所」が促進され、妻と母が危機の時、私は妹の世話を回避できた。

妹が、養護施設に何故入ることができたのかというと、東京で妹を抱えているときに、妻と私が手続きをした。ある事情が終わり、母親のもとに戻った時にも、行政手続きを私が行った(現在の認定手続きは、県行政をまたぐと再手続きをしなくてはならない)。

多分、いわゆる「障害者」という言葉をあえて肯定するのなら、そういう子を言うのかもしれない。「自分で自分の世話をすることができない」という意味で。しかし、妹が「自分で自分を世話すことがどれだけできるようになるのか」も、どれだけ至れるのかも未知数でしかない。毎日の訓練によっても可能性があるのだから。妹の当時の時代は、いなかでは、その訓練は「家庭」だけになってしまっていた。だから、その家庭が、どういう視点で妹と向き合うのかで、妹の将来は決まってしまう。伸び盛りの獲得できるときに、どれだけの訓練で獲得できるかで。しかし、今の「社会」は、その子が、「その時での程度やレベルがどれだけか」としてしか「認定」しない。確かにその時々の認定は必要あるのだろうが。その子がどれだけの可能性があるのかは、訓練を受ける場がない。

そして、本人の「ハンディへの自覚(=病識)」によっても違ってしまうこともある。自分の、例えば「ハンディ」が、もうこれ以上はどうしようもないのか、それとももっと訓練なども含め適応できる可能性があるのか、という視点をもつことも大事になるのだとも思う。

亡き妻は、亡くなる7年前にガンで「声帯」を摘出した。つまり、失声した。だから、もとには戻れない。つまり回復できない。しかし、妻は「第2の声」=「食道発声法」で、かなりの人とのコミュニケーションが可能になった。もちろんそのようになるのには相当「訓練」した。幸いにその訓練をできる会が地元にあった。自分への「病識」がはっきりできる人は、対処できるのだ。妻は、不自由な人とのコミュニケーション以外は、何も人さまと変わらない。ごく「普通人」だ。

しかし、失声によって妻はいわゆる「障害者」になってしまった。

妹と妻の決定的違いは「病識」という自覚だ。自覚できる人は、回復または何らかの手段や方法をとることによって自分を「表現・行動」できるようになる。

しかし、今の「社会」はそういう視点でも果たして成立しているだろうか?と考えざるを得ない。確かに、例えば心臓にペースメーカーで機能を補助し、社会で活躍している人は多々いる。しかし、ほとんどの人は、本流からは離れてしまうケースが多いようだ。

そして、ハンディを抱えている人にとっては、今の社会の「生産秩序」はハードルが高いのだと思う。もちろん、ハンディを抱えている人自身も、どんな仕事にも適応できるとは思っていない。先ほど言ったペースメーカーに支えられている人は、ハードな肉体労働は無理だろうし、本人もできるとは思ってはいない。当然Dr.も反対する。だけれども、本人にしてみれば、社会の中で働き役に立ちたいと思っている。

私はもう「高齢者」ということを自他ともに認めている。しかし、世間で自分を説明するとき、私も「高齢者」とは言っていない。「年金生活者」と言っている。現在では、「年金受給者」=「高齢者」になってしまう。現在は、基準としては「65歳以上」ということなのだろう。

私は、妻が亡くなってから、出血の伴う「中耳炎」で、そしてその後の度重なる中耳炎で、現在は左耳がかなり難聴だ。若干右耳も難聴だ。しかし、私が困っているのは左耳の耳鳴りだ。これがかなりひどい、そしてつらい。いつだったか、電話で年金事務所に「難聴と耳鳴りがひどいので、障害者として認定されるのだろうか?」と相談したら、「これまでの経過をできるだけ詳しく書いて年金事務所に来てください」と言われた。私は、可能性があるのかと期待して、大体7年間の経過をできるだけ詳しく調べて書いて、年金事務所に予約し、当日、経過を書いた紙をもって行った。そしたら、「現在年金を最高額支給されているので無理」とあっさり断られた。私は、「こんなに苦痛を感じているのに、障害年金の対象にはならないんですか?」と聞いても、「現在、最高額支給されている」を繰り返すだけだった。

はじめは、何をどう理解していいのかわからなかった。どちらかというと「なんでやねん」という気持ちが先にはしってしまった。

今は、そのことには冷静さを持っている。要するに、「高齢者」⇒「年金受給者」にはなるのだが、

「高齢者」⇒「障害者」にはならないのだ。

だから、「認知症」も、最高額の年金の受給を受けていれば「障害者」にはならないようだ。もちろん、介護保険の対象にはなるようだ。しかし、その原資は年金から天引きだからこれまた厳しい。

最近「後期高齢者」(75歳以上の健康保険の本人負担割合)をめぐって、自民党案と公明党案が、妙な妥協の中で、国会に提出されるようだし、与党案だから多分通過してしまうのかもしれない。もともと、「後期高齢者」という意味合い自体、当時の政府が「作り上げた」ものだし、そんなに昔ではないような気がするが、もうこれまでの社会保障が持たなくなってしまったということなのだろう。

話を戻したい。以前、いわゆる「障害者」という概念規定は、現代の「生産秩序」には適応できない人としてしか、成り立ってはいない「概念」だと述べたことがある。しかも、何の可能性もひきだされることなく、何の訓練も受けることなく。

そして、逆に言うと、いったん、いわゆる「障害者」としてレッテル化・ラベル化されてしまうと、本人が、いくら自助努力しても、現代の「生産秩序」に入れることも、なかなか難しくなってしまうようだ。

「障害者手帳」を持っていると、多分今の時代は、「正規雇用」はかなり困難になっているようだ。一般にいう「障害者枠」(企業は従業員の50人に1人「障害者」を採用しなくてはならないと法律ではうたっている)のほとんどが、例えば、建設業でいえば自身の企業で「労働災害」などで不幸にしてハンディを背負ってしまった人を、その制度に適用して継続雇用しているケースのほうが圧倒的に多い。それは、かなり一面的な見方をすれば「社会的な労災隠し」といってもよいのかもしれない。それは企業自身の持つ「生産体制」の問題を明確にすることもなく、雇用し続けることによって「社会化」されることからの回避にもみえる。だから、今の時代、一般の「正規雇用者」として「障害者枠」によって「雇用」されることすらかなり難しくなってしまっているようだ(ただし、すでに雇用されている人が不幸にして「病になってハンディを抱えた人」になっても雇用継続されることはある)。

現在の「コロナ禍」で、非正規雇用者の場合は、これまでは可能性が多少はあったのが、それすら難しくなっているようだ。そうして、いわゆる「障害者」はどんどん社会の片隅に追いやられてしまっているようだ。「障害者だから可能性がない」なのか、「可能性がないから障害者」なのか、「何をもってそう規定されてしまうのか」何が何だか訳が分からなくなってしまった。

現在の「コロナ禍」不況で、どんどん社会のひずみがあきらかになってきてしまった。観光業、飲食業、イベント業、非正規雇用社員、派遣社員などではどんどん雇用が切られてしまっている。切られてしまった例えばシングルマザーは緊急避難先として先日TVでも放送されたが「風俗」でとりあえず何とかしのいでいるらしいが、それも継続性はない。みんな、「居場所」もなく「行き先」もなくなっている。それが「現代」なのかもしれない。そして、この「コロナ禍」で「自分とその家族さえ守られればいい」という意識は当然生まれてもやむを得ないかもしれない。しかし、社会は、自分や自分の家族だけで成立しているのではないことは誰でもわかっている。

でも、私には「このままでは・・・」という気持ちがとても強くなる。

(ささ爺)

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