「道教」からみる政治

私がここ一年あたりに知ったものの中で「道教」がある。

古くから日本で継承されている、端午の節句とか、還暦祝いとか、喜寿の祝いとか、米寿の祝いとかに「道教」の名残りを見ることができる。

道教は中国の「老子、荘子」によって唱えられたとされている。そして、その考え方が日本に伝えられ、前述した「お祝い」に残っている。

ところが「道教」そのものは、多分私たちには「形」としては先に述べたものとしてしか残っていない。そのほとんどが現在は「通過儀礼」になっているが、発祥元の中国では無くなってしまったようだが、正直、情報がないので何とも言えない。しかし、日本に何故残っているのか興味深い。

多分、日本人には、子供たちの健やかな成長を「祈り」し、又、老いた人にはこれまでの人としてその「道」での役割を果たしてきたという「感謝」の心が残ってきたのだろうと思う。つまり「現役世代」から見ての、「幼い命」だったり「老いた命」だったのかもしれない。

だから、大切にされてきたのかもしれないし、確かに昔の人は大切にしてきたのだろうと思う。

道教は、なぜか「道」から入る。まず「道」がある。それも言葉としては日本には「人の道」とかの言葉で残されている。

その道を歩くと、いつしか天と地に分かれる。イメージするとわかりやすいのかもしれない。道などを歩いていると、空があり、そして地がある。

そういうイメージなのだろう。

いつしか、「道」は「天」と「地」に分かれる。そして、「天」は「地」を歩く人々を支える。そして、「地」を歩くのは私たちだ。

いつしか、「天」は独立し始める。つまり導く側(支配領導する側)になってしまう。そして、「地」を歩く私たちは従う側になってしまった。

そして、導く側の思想が生まれる。それが日本の場合「儒教」だったのかもしれない。

昔の武将や武士たちは「天」の考え方に従っている。大河ドラマなどの「時代劇」などからも感じるが、武将たちは「民百姓、つまり、人々のしあわせ」のために、我こそが「天」に生きる人としてその任務者にふさわしいとして、争いごとをする。つまり、権力闘争をする。

権力闘争で、私が「天」であるという主張だ。

日本の教育は、様々な「天」に生きるものとしての「権力闘争」の歴史だけを教育課目とされる。平安時代、鎌倉時代、安土桃山時代結果としての戦国時代、そして江戸時代と。支配層の歴史だけが、歴史全体を支えたイデオロギーとして。

しかし「地」を生きた名もなき人々は、ほぼ「文献」としては残っていない。しかし、民謡などに残っているときもあるし、地方に行ったりすると、歴史的伝統的な心と出会うときがある。そして、そこに私は「絶対的な平和主義」を感じるときがある。

そして、そのことに対抗した考え方が「革命」だったのかも知れない。しかし、日本の歴史を学んでいる限り「革命」はなかった。

「革命」は言葉の通りなのだが、私が若いころ知っている限りでは「天命をもって革(あらた)める」ということだが、その言葉の歴史から言えば「天命を革める」が正しいのだと思う。

その時々の「天」に生きる人は、「天」の役割を果たしてないから、新しい「天」にするということのようだ。

正確には「易姓革命」なのだが、「天」は集団ではなく、「家」であったり「族」だったのだから、「易姓革命」になる。

そういう言葉の歴史から学ぶと、特に革命を求めた戦後左翼には誤解があるようだ。自分たちの望む社会を実現することが「天命」として使っていたことだ。われこそが「天命」によって導かれた「正しい主張者だ」として。だから繰り返すが、「天命をもって革(あらた)める」ではなく、正しくは「天命を革ためる」が「道教」から出る言葉の響きとしては正しいのだと私は感じている。

戦後左翼より、昔の武将・武士たちのほうが「道教」の考え方に近いことがわかる。

でもいずれにしても「民・百姓のしあわせ」が第一前提になる。

ちょっと突っ込んで考えると、「天命を革める」のは「天」に生きる人々の宿命だから、自分がダメだったら自分がふさわしくないのだったら、違う「命を持った天」を受け入れることになる。つまり「自己否定」をするわけだ。

だから、日本で江戸時代につくられた「士・農・工・商」の身分制度は、「士」は「天」であり、そして「地」に生きる「農・工・商」があっての「天」として自覚していたことがわかる。特に「農」の営みが一番の大地からの恵みを生み出しているとの理解だ。だから「士」の次を「農」としたという理解も成り立つ。「士」に生きる人は知っていた。「農」があっての「士」であると。そうすると、鎌倉幕府が、なぜ「武士」を農民と暮らさせたのが納得できるのかもしれない。

ちょっと、皮肉に聞こえるかもしれないが、大河ドラマでは、私の知っている限り、鎌倉時代の農民とともに生きた武士の姿を見たことはない。

間もなく終わるが、現在の大河ドラマもそんな目で見てみると面白いかもしれない。

「明治維新」を「革命」と言わないのは、「地」にいきる人々が「天」になることを求めたわけでなかったことがわかる。

もっとも「明治維新」とは何だったのかは、いまだ歴史学問としても明確には解明されていない。

私には、なぜ日本人が昔の武将や武士たちの「国とり物語」がどうして好きなのかがわからなかったが、そんなふうに考えるとうなずけるものがある。そして、「水戸黄門」が以前日本人に受けたのかも理解できるような気がする。

昨今の「天」に生きる方々の姿や精神性を見ると、その言葉の歴史から考えてみても、「われこそはと言って手をあげ」るのだが「天に生きた」昔の武将や武士に至ってないと感じるのはけっして私だけでないだろう。

一方、「人々」としての「民」のほうが「地」に生きる人としての覚悟が感じられる。

そう考えると、「民主主義」という制度への人々の参加の動機は、欧米人と日本人は今もって異なっているともいえるのかもしれない。

今の「コロナ禍」のなか、私たちはこの先どうやって生きてゆけるのかわからなくなってしまった。昔の人々も、天災や災難・流行り病はあったはずだ。その時、人々はどうやって助け合い、支え合ったのかからつかんでみるのも1つのヒントかも知れない。私たちはみんな「弱者」なのだから。

(ささ爺)

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