「個人」は大事なのだけれども
「「われ思うゆえにわれあり」言ったとしても他者があっての私であればと」
これは先日載せた私の「川柳」の中の1つなんですけれど、ある若者が反応しました。
私は今感じています、若い人たちは「個人」でいることはあたりまえになっているのですが、みんな「関係性」が大事と感じてきているようです。
つまり、今回の「コロナ禍」で見えてしまったんですね、「個人」でいるいうのは、単なる空しい存在でしかないんだと。ただ世の中を漂流しているだけなんだと。だから、みんな求めているのは、「個人」と「個人」の関わり合いがいかに大切であるのかと。
私は、今回の「コロナ禍」で感じたんです。みんなメッキが剥げた「裸の個人」になってしまったんだと。そして、それは何の意味もない空しい「個人」でしかなかったのだと・・・。
(ささ爺)
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