心の安定を図る、1つの方策!

まず、「職人」的な仕事をしていると、そんなもの「身体(からだ)で覚えろ」と、親方、兄弟子に言われます。この「身体で覚えろ」は実に日本的らしいのです。

欧州の伝統的な仕事の覚え方にも、「身体で覚えろ」は、なかったようです。

欧州の伝統的な人間感覚の代表として、例えばベルクソンという人がいます。

ベルクソンは、人間を「知性」「身体」「生命(いのち)」として分けますが、その場合の「身体」は、あくまで、「知性」や「生命(いのち)」に従属するものとして考えられていました。

だから、「身体」は、単なる「物体」であり、特に、人間を語るには「意味のない存在」だとされてきました。

有名な「カント」も、人間には「知・情・意」が必要とされ、やはり、「身体」は問題にされてきませんでした。

しかし、果たしてそうでしょうか? 日本人の私たちなら、「心」と「身体」を分けて考えてはいないと思います。しかし、このとらえ方も実に日本的な事であるのは、多分わからなかったと思います。

「心身一如」(しんじんいちにょ)も「心身一体」(しんみいったい)についても、そのことを「否定」する人は、まず日本人ならいないと思います。

ところが、歴史的には先進国であった「ヨーロッパ」には、そういう考え方はなかったのです。

だから、病気を治すことに対しては、「知性(意識)=精神」と「身体」を分けて考え、身体(からだ)を治すだけだから、化学薬品としての「薬」なのです。

しかし、私は、緊急避難時は「薬」も必要だとは思いますが、長い目で考えると、「薬」は最小限のものとして考え、「心身一如」の考え方から、「心」の不安定を、「身体」の健全化によって、正(ただ)しめることが可能なのだと考えます。

だから、心が不安定な時ほど、「安定した行動の繰り返し」により、結果として、「心」の安定が図られる、ということです。

仕事を抱えている方は、心の具合が多少悪くとも、やれそうならば最低限度の仕事を消化してゆく。主婦ならば、最低限度の家事と子育てを行ってゆく。それでいいのです。

しかも、それ以上のことは、特に、今必要でないことならば、差し控えましょう。

そして「ゆっくり生きましょうョ!」。

何故、そんなに急いでいるんですか?

もしかすると、「急がされているのでは?」、、、、、。

何にせかされているのでしょうねぇ、、、、、?

                   (ささ爺)


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