「個人の時代の苦悩」と「自助グループ」

 私は、これまで、現代は「個人で生き、個人で解決することの苦悩」を書いてきた。

 しかし、現代においても、まだまだ「支え合う、助け合う」という、「自助グループ」があることに、一種の感銘を受けている。


 例えば、「生活の発見会」は、「神経質」から生じる異常感に陥った「神経症」について、そのことは、自分自身のみが特別に感じるものではなく、そのことを特殊にてしまう「とらわれ」によることからくる、「性格特徴」に力点を置く。

 例えば、人前に出て話などをしなければならないというとき、「緊張してはいけない」という「はからい」を持つと、かえって逆に緊張の度合いを高め、そして、そのときの自分の「心情」を特別視することで、かえって「症状化」させてしまうのである。

 社交不安も、よく自分の心理メカニズムを追究すると、上述したことからの延長であることがわかる。

 そうした、心理は誰しもが陥りやすいものである。「陥った状態」を、互いに体験を話し合いながら、そして、是正してゆくという「自助」方式は、「個人の時代」にあって、非常に有効な手立てであると、私は感じている。


 「断酒会」は、その主席者が、「互いに断酒をし続ける」という一点でつながっているが、特に難しい話をする必要もない。

 自分の「飲酒状態」における体験談を、とつとつと話してゆく。その内容を、他者は、肯定も否定もしない。しかし、話してゆくことで「自浄力」が高まり、「断酒継続」につながるのである。

 

 私は、自身の体験や考えをもとに、そうした「自助グループ」の活動は、「自浄グループ」としての効能を持っていると確信している。

 すべからず何につけ「個人で解決」しなければならない現代だからこそ、なおさら、それらの活動に意義を感じるのである。

                           (ささ爺)

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