「障害者」わからない言葉⑤ー「薬」について

私も現在、就寝前「薬」を飲んでいる。現在「心療内科」のDr.によって処方を受けている。

メンタル面では、睡眠導入剤、抗うつ薬(眠気が出るので夜)だ。

フィジカル面では、高脂血症(中性脂肪対策)、降圧剤(高血圧対策)だ。

だから、就寝前に4種の薬を飲んでいる。もっとも、フィジカル面の薬は、朝食後としても処方されているが、大体忘れてしまっている場合が多い。

私は、若いころ職業転換で「電気工事屋」になった。その前に「神経症」は発症していて、眠れない夜が続き、やはりDr.によって、睡眠導入剤の処方を受けていた。ところが、私の「電気工事屋」時代は、毎日の仕事が「電柱の上」だった。実に、肉体的にはハードな仕事だった。

当時、私は、仕事が終わって帰宅すると、必ず晩酌をする。もともと「お酒に強いし好きだ」。そして、ハードな仕事で体も疲れているし、メンタル的にも充実しリラックスしているから、薬も飲まないで眠ってしまう場合が多かった。睡眠には、ほどよい身体の疲れとメンタルのリラックスが必要だ、とよく言われるが、私はそのことを経験してきた。

「薬」にもいろいろある。西洋医学に基づく薬もあれば、漢方薬という薬もある。多分、昔からの日本には「和薬(わやく)」もあったのだろう。

私が子供の頃、「富山の薬売り」さんがよく来ていた。私は、太平洋側に住んでいたので、実に遠いところから来ていたことがわかる。親は、その薬売りさんの話を聞いて納得したら買っていた。多分、その薬は「漢方薬」か「和薬」が中心だったのだろうと思う。

むかしの人は知っていた。漢方薬や和薬は、自然にあるものからつくられる。徐々にしか効かないが、副作用がない。だから、「常飲」しても問題が発生しないということも。

漢方薬は、中国語の呼び方なので、厳密に言えば、その薬売りさんは「和薬」だったのだろうと思う。昔の人は、それなりの専門家がいて、こういう症状の時は、自然にある「薬草」を生かして、そして、煎じたり、炒ったり、干したりして、飲める状態にして処方されたりしていたのだと思う。昔の人は「良薬口ににがし」とよく言っていた。

いなかに、ある医療機関がある。特にメンタル的な面を中心に薬を処方している。そこの医療機関である変化が起きているらしい。保険の効く「漢方薬」を処方しているDr.が実に再評価されているということらしい。そのDr.はかなり加齢が進んでいるが、そのDr.を慕う患者さんがかなり多くなり、「引退するもできない」とうれしい悲鳴を聞いたことがある。

一方「西洋医学」に基づいている「薬」は、ほぼ化学薬品だ。だから、そうした薬を処方するDr.にとっては、患者さんの症状にどの薬が効果あるのか、との知識も必要だが、薬の組み合わせによってはとんでもない副作用も出てしまうので、そこにも細心の注意を払う。優秀なDrになるのにはその2つを知っていることが条件になる。

先に述べた、漢方薬や和薬は大抵「保険」が効かないので、一般の私たちには高額になり手に届きにくい。

漢方薬や和薬は、薬機法(薬事法)でかなり規制されていて、そして保険が効かないので、大抵のDr.は処方できなくなっているようだ。

明治政府によって廃止されたもののひとつに「修験道」がある。実は「修験道」に生きる人たちのほとんどは「和薬」の専門家でもあったらしい。

よく、かなりローカルに行くと、「和薬」が販売されていることが多い。しかし、その表示が実に難しいらしい。つまり、「薬」として販売すると「薬機法」違反になるので、「こうした状態に効果があるらしい」という表現でしか「販売」できないらしい。

ちなみに、「東洋医学」には「指圧・針・お灸」があるが、私のいなかに「針」がとても上手な方がいた。しかし、保険が効かないのでやはり「高額」だった。

だから、私たちが普段、医療機関を通して処方される薬のほとんどは「西洋医学」にもとづく「化学薬品」になってしまう。

人間は「生命体」だから、必ず「自然治癒能力」がある。いっとき「具合い」が悪くても、そして、その補助として、つまり緊急避難として「薬」を使っても、その持つ「自然治癒能力」によって回復するということだ。だから、今は薬が必要でも、それは「現在の苦痛」をやわらげ、そして本来の持つ「自然治癒能力」の補助として使用するのがやはり好ましい、とよく言われる。

例えば、「かぜ」を引いたとき風邪薬を飲むが、そのかぜ薬は「苦痛の緩和」のために処方される場合が多い。発熱・せき・頭痛・関節などの痛み・倦怠感・鼻水などへ「対処」する。やはり一番の苦痛は「発熱」だ。一時には、その苦痛を和らげないと、仕事や生活に支障をきたすので大抵の方はDr.の世話になる。まっ、今年などは「コロナ禍」なので、市販薬で済ませる人もいるだろう。でも、人間には「自然治癒能力」があるので、ずっと「風邪薬」を飲み続ける人はまずいない。

私の亡き妻は、ガンの手術で、声帯と同時に「甲状腺」を摘出した。結果、それに代わる薬を亡くなるまで飲み続けるしかなかった。

ただ、私の場合をとってみても「加齢」によって、「自然治癒能力」が弱まっているから、その補助として「薬」が処方されているし、私もそれを認めている。

私は、定年まで働いていたので、会社が毎年、健康診断を行っていた。大体20年位前から、フィジカル面では、高脂血症、高血圧症を指摘されていた。だから、「専門医」への受診を勧められていたが、わたしはかからなかった。そして「食生活の改善」もすすめられた。でも、私は、幼少期からの自分の「食文化・食生活」を変えることはしなかった。やはり「うまい」ものはやめられないからだ。「尿酸値」も高いと言われた。将来「痛風」になると言われ薬をすすめられたが、私は飲まないでいた。いまだ痛風になっていない。

先に述べた「自然治癒能力」も、メンタル面にもあると私は思っている。例えば、人間の意欲や快感は、脳のホルモン分泌で決まってゆくことは現代医学では常識になっているようだ。一時の強いストレスによって、それらの物質の分泌は「阻害」されてしまうようだ。

例えば、昨今の「コロナ禍」で医療従事者に発生している「うつ」について考えてみたい。毎日の「ハードルの高い仕事」や「もしかして自分もかかってしまうかも?」という「不安感・過緊張」は「脳の伝達物質の分泌が変化」してしまうのは当然なのだと思う。それは、1つは働く「環境」の改善も必要になるし、もう1つは対応しきれない自分の「働き方」「生き方」への改善も必要になる。誰もがわかることだ。

しかし、Dr.は、「異常」を訴えている「個人」にしか向き合えない。そして「対処療法」で、その個人にのみ「薬」を処方する。そして、Dr.は、「異常」を訴える「患者」さんが、現代社会(厚生労働省)で承認されている範囲でどの「カテゴリー」に該当するのかをまず決めなければならなない、という宿命を持っている。そうしなければ「処方箋」を書けない。つまり、「薬」を出せない。

そこには、2つのテーマが考えられる。

1つは、何も変わらないということだ。職場環境も変わらず、対応しきれない自分も変わらない。ただ、強いストレスに「耐えるしかない」ということだ。そして「個人」にのみ課題があるとなってしまうことだ。だから、薬を飲み続けながら本人が「対処」していくしかなくなる。

そして、もう1つは、「薬」を長期間飲み続けていれば「自然治癒能力」が抑えられてしまう、ということだ。いっときの緊急避難としての「補助」が「恒常化」してしまう。「恒常化」してしまうということは、その「薬」なしには、仕事や日常生活自体が成り立たなくなってしまう。結局、メンタル面でも医療機関がどんどん肥大化してゆく。つまり「患者」さんが減少しないということになる。極端な言い方をすれば「もう治らない」ということになり、結果いわゆる「障害者」にまで高め?られてしまう場合もある。

私などは、「神経症」の時には、同時に「うつ」も伴っていたようだ。そして、Dr.の診断も「神経症性うつ病」というカテゴリーで私に説明した。だから、Dr.も積極的に抗うつ剤を処方した。しかし、私の場合、根本が「神経症」だったので、果たしてその効果はあったのかといまでも「?」だ。結局は「抗うつ剤」は手放せなくなってしまった。

はじめに述べた、私が就寝前に飲んでいる4種の薬からは、私はもう「脱薬」できなくなってしまった。体が「薬物依存」になってしまっているからだ。それを抜こうとすると、やはり「日常生活」に支障をきたす。そして「脱薬」を目的とした日常生活なんて「ありえない」。

現在薬を飲み続けている人は、「じゃぁ、どうすればいいんですか?」という疑問が当然出てくる。

先に述べた医療従事者の中には「退職」を考えている人が多いらしい。しかし、そう選択できる人はいいのかもしれない。現代社会は、「仕事」=「生活費」にも直結しているから、その選択すらできない人が圧倒的に多いのだと思う。

私の場合は、幸か不幸かもうお爺ちゃんだ。だから、「薬は飲んでも、残った人生をより充実させたい」と気持ちでいる。だから、「薬との格闘」はしない。それは、決して「長生き」を第一前提にしているわけではない。私は「充実した今を生きたい」と望んでいるだけだ。私なりに「心の居場所」をみつけたら、とても気持ちが楽になった。

これだけ、技術が発展し「生産力」が高くなっても、なおかつ「生産秩序」のハードルは高い。そして、それに対応してゆかねばならない「人間」にも高いスキルが求められている。

でも、今回の「コロナ禍」で、現代の抱えている様々な「テーマ」が次第に明らかになってきたように感じているのはけっして私だけではないと思う。

(ささ爺)

ささ爺の停留所

茨城地域の障害者と家族の為の相談室です。 何か悩みをお持ちですか? ご相談ください。